日本の学校教育に巣くう「兵士教育」の影

今回はおるたネットの古山明男代表の論考が、日本の学校教育の歪みのルーツを分かりやすくひも解いていますので、そのままシェアさせていただいてます。


 19世紀以降の義務教育に大きくわけて2つのタイプがあります。
 一つは個人能力・社会性一般を育てる教育です。あまりに多岐にわたるので、「普通教育」とまとめて呼ぶことにします。もう一つは、兵士を育てる教育です。この二つの教育は、両立し難い面が多いです。普通教育では、感受性、思考力一般、自主性が求められるのに対して、兵士教育は、目的以外のことを感じない、戦術的狡知、集団行動が求められます。
 兵士教育の極端な例は、ギリシャの都市国家スパルタです。スパルタでは男子は7歳から親と引き離し兵営生活に入れられます。教育内容は、武闘訓練、サバイバル能力、集団行動です。スパルタは、軍事的にはめっぽう強かった。ギリシャ世界の覇者になったこともあります。しかし、行政能力も、文化創造力もなかった。一時的な覇者にはなれ
ても、他国を長期的に支配する力はありませんでした。
日本のことを考えると、明治中期以降、兵士教育を大幅に取り入れた義務教育制度を作り上げて、国家として大発展しました。しかし、軍事一辺倒の国になって、戦争に大敗し、1945年に明治国家は崩壊しました。戦後、より文化面を重視した教育が行われるようになりました。しかし実質は、普通教育と兵士教育の混合教育です。明治以来の集団行動を訓練する学校という枠組みは、絶対に変えなかった。その枠組みの中で、文化領域の知識、スキルの手ほどきをしています。この教育は、産業兵士を育成することでは、たいへん効果がありました。一時は、世界第2位の経済大国というところまでいきました。しかし、その後日本はずるずると衰退しています。個人の精神生活をあまりに無視した教育なので、クリエイティブなものが発展しないのです。
この普通教育と兵士教育の混合教育を学校教育の場で具体化しているのが、集団一斉授業です。集団一斉授業を維持しようとしたら、かなり厳格な集団行動訓練が必要なのです。小学校に入ってからの訓練では足りず、幼児教育も集団訓練にあてられています。算数や国語の集団一斉授業をしていると、知識や思考力を育てていると見なされて、この集団行動訓練の面が忘れられています。多くの大人は、子どもたちが教室で先生の方を向いておとなしく座っていれば、よい教育がなされていると見なします。しかし、そのときの子どもたちの頭の中がどうなっているかは、わかりはしないのです。だから、後でテストをします。結果はわかっていない子だらけです。そうすると、家で勉強しろという。効果の上がっていない授業は不問に付される。それでも、教室で子どもたちがおとなしくしているかぎり、教育の成果は上がっていると考えられています。なぜかというと、集団行動訓練としてはたしかに効果が上がっているからです。自分の興味が湧かないことであっても、授業におとなしく参加している。よく努力した。えらい、えらい。でも、これは、「気をつけ」の指示に、長時間よく従ったのと同じです。兵士教育をやりますということで、よく我慢できた」と評価するならわかります。しかし、言語の理解とか、論理的な思考力とかを掲げた授業をして、よく我慢できました」は、ないでしょう。
教室で生徒がおとなしく先生の方を向いている姿を見て、「うん、うん」と満足げにうなづいているエライさんたち。あれが大問題なんです。先生たちがそういうエライさんたちを満足させるしかない仕組みが大問題なんです。集団一斉授業ではないタイプの学校を作る自由をくれというと、猛反対する議員さんたち、あれが大問題なんです。エライさんたちが満足している陰で、たくさんの落ちこぼれ、学校恐怖、不登校が生み出されています。先生が見ているところではよい子にしているが、先生の目が届かないと何をするかわかない子どもたちが、たくさん育つのです。
「普通教育機会確保法」が施行されて、「普通教育」とはなんなんだ、という問い直しが必要になっています。

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