法律から見た日本の義務教育の矛盾

 日本の義務教育は学校に通わせることが当たり前になっています。この当たり前って、本当に当たり前なんでしょうか?答えはNOです。アメリカでも多くのヨーロッパでもお隣の韓国でも、学校に通う以外の学び方が義務教育の選択肢として認められています。「日本の常識、世界の非常識」と言われますが、それは学校教育にも当てはまるのです。ただこれだけの説明では「?」と思いますよね。結論から言うと「子どもは学校に通うのが当たり前」となってしまった根本原因は日本の教育関連法律の規定にあるのです。

 すべての法律の根本は日本国憲法の精神に準じていなければなりません。憲法では第26条に【教育を受ける権利、教育の義務、義務教育の無償】について謳われています。
1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
 ここで注目したいのは、自分の子どもに普通教育(人間として、また一般社会人として必要と思われる知識や能力を養うために行われる教育)を受けさせる義務があるけれども、学校に行かせなさいとは書かれていないことです。すべての法の基となる憲法は、子どもには教育を受けさせましょう。でもそれは学校教育よりももっと広い意味での普通教育のことですよと謳ってあるのです。
 ところが憲法が保障する広い意味での普通教育を受ける権利、そして普通教育を受けさせる義務というものが「教育基本法」「学校教育法」によって、子どもは学校に行かせなければならないというように狭く狭く規定されるようになるのです。

 教育基本法では、国や地方公共団体、学校法人しか学校を設置できないとし、公立学校は無償、私立学校については助成すべしとしています。そして学校教育法の第1条によって、この学校とは幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校と限定しています。さらにそれぞれの幼、小、中、高とそれぞれの学校とは、教室や運動場がどれくらいの広さでと設置基準が定められており、誰でも簡単に作れるようにはなっていないのです。また全国どこへ行っても教室の造りなどが同じなのは、こうした法律でがんじがらめに規定しているからなのです。ある意味では、これらの法律によって日本の普通教育は質の担保がなされてきました。しかし教育の底上げがなされ、世の中に多様な学びの機会があふれる時代にあって、こうした強固な法律が多様な普通教育の場が誕生するチャンスを奪ってしまっている本末転倒な現状があります。

 日本のそこかしこにシュタイナー、イエナ、サドベリー、その他のフリースクールなど、多様なオルタナティブ教育の場が草の根で広がっており、学校教育に馴染まない子ども達にとっての普通教育の受け皿となっています。ところがそれらのほとんどは法律でいう学校の規格の外にあるため、学校としては認められず、なんらの財政支援も受けることができないひっ迫した学校経営を余儀なくされています。
 文科省調査による狭義の不登校が16万人(日本財団調査の調査ではかくれ不登校を含めると33万人の中学生が不登校)にのぼるこの国にあって、これらのオルタナティブスクールは、日本国憲法が謳っている「教育を受ける権利」と「受けさせる義務」を保障する重要な役割を果たしています。にも関わらず、憲法の精神を具現化するはずの教育関連法規によって、「学校とは認められません」「したがってお金も権限も渡せません」と教育制度の外に、はじき出されているのです。この矛盾こそこの国の教育制度が抱える最大の矛盾のひとつなのです。

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