ゆたかな体験ってお金で買えるものなのか

ーまえおきー
文春オンラインの記事
「体験格差? そんな視点どこから出てくるの?」五味太郎さんが語る「子どもの体験」ビジネスで、教育ジャーナリストのおおたとしまささんのインタビューに絵本作家の五味太郎さんが答える形での対談を読んで共感して、自分の子ども時代の体験を思い返したので、常々体験について思っていることを書きたくなりました。

ー体験することが何もない夏休みが何よりの体験だったー
 貧乏な家庭に育った私とその仲間の夏休みは、することがなくて、暇で暇でしょうがない長休みでした。毎日、友達の家に集まって
「今日はなにする?」
「公園で野球しよ」→「昨日したし」
「駒回しは」→「おもしろない」
「おだ店いこっか」→「金ねぇよ」
「何かおもしろいことないかなぁ」
「・・・・・・」
こうしてただただ時間が流れていきます。
でも、そんな中でちょっとした工夫でその場でしか成立しないような「あそびの発明」がなされることがあります。
 幼馴染の「まっすん」の家の前にはコンクリート舗装の5mほどの坂があり、右半分は「まっすん」の家に降りていく階段になっていました。ある日、そこに腰かけて「今日はなにする?」という昨日と同じやりとりが繰り返されます。坂に小石を転がしてみると、途中で右側にそれて階段で止まることもあり、坂のカーブに沿ってうまく下まで転がり落ちていく石もあります。そのうち、うまく下まで転がっていきそうな形のいい小石を見つける競争がはじまり、石の代わりにミニカーを転がして、だれのミニカーが速く遠くまで坂を下っていけるかという遊びに発展しました。
 またある日、私とまっすんの4兄弟は、毎日のように自転車を乗り回して遊んでいました。近所の空き地で、いつものように遊んでいると、コカ・コーラの空き瓶が何十本も転がっていました。自転車の前タイヤを振ってコーラ瓶をうまく叩くと瓶が倒れました。下手すると瓶にタイヤが乗り上げてしまい、ズッコケます。強く叩くと瓶が割れてしまいます。ペダルの踏み込み具合とブレーキの効かせ加減、瓶と前タイヤの距離感とハンドルを切るタイミング、それらが噛み合ったとき、スコンっとコーラ瓶は倒れます。半径5mほどの円を地面に描き、10本ほどのコーラ瓶をランダムに並べて、1回も足を着かずにすべて倒せたらチャンピオン。「瓶たおし」私たちが発明したゲームです。

ー価値ある体験って?エピソードからー
 小学生時代の暇な毎日から生み出したオリジナルな遊び。夏休みという子どもにとっては、無限ともいえる自由な時間。無限すぎてやることがなくなり、暇で暇でしょうがなかったつまらない日々。でもそうした何もない中でこそ、大人では思いもよらないような遊びのアイディアが生まれました。小学生時代は、こんなチープな体験の連続だったかも知れません。しかしいま思い返せば、これって実にクリエイティブな日々の繰り返しだったのだと価値づけることができます。
 自分で言うのもなんですが、私は学校教員としては優秀ではありません。だけど「こんなことやったら楽しそう」という子どもの遊び心をくすぐるような活動を仕組むことに掛けては、人一倍、長けている自信があります!その嗅覚、創造力は、きっと、小学生時代の暇で暇でしょうがなかった自由な時間に培われたものなんだ、きっとそうなんだと思うのです。
 だから何にもなくても、自分の好きにできる時間と空間があれば、豊かな体験は創り出せるってことは体に染みついているのです。逆に、お金をかけないとできないような体験を大人が与えたとしても、子どもが主体性を発揮できなければ、必ずしも、その子の生きる力につながる体験になるとは限らないということがいえるのではないでしょうか。子どもに関わる大人はよくよく考えて、体験の与えすぎに注意しなかればならないと思います。あるいは、せっかくお金をかけるのであれば、その子の「やりたい」というアンテナはどこに向いているのかを見極め、「やりたい」をじっくり育んでから、体験に臨みたいものです。

文春オンラインの記事はこちらから(最初CMとか出て来て煩わしいですが)
https://bunshun.jp/articles/-/78280#goog_rewarded

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