奥尻・徳之島・広島・南阿蘇5校子ども平和サミット

12月12日、平和学習に取り組んできた5校の6年生がリモートでつながりそれぞれ学んできたことを発表し合いました。
きっかけは5月におこなわれた広島大学での学会発表でお世話になった川本吉太郎先生からの声掛けでした。
広大のプロジェクト「デジタル・シティズンシップ・シティ(DCC):公共的対話のための学校」へのお誘いがあり、それなら「久木野小と広島の小学校をつないでください」とお願いしたところ、「それは面白そう」と快諾くださったことから始まったのです。
                                              サミットを運営してくださった広大の先生方

 1回目のリモートは9月18日、被爆者の宮川静登さんによる当時を振り返った語りや,龍王小6年の木村さんの平和学習の成果発表を聞く会となりました。これには久木野小だけでなく、北海道奥尻島の奥尻小、徳之島の尾母小の6年生も参加した。この時、ビビッと運命的ななにかを感じた私は、その日のうちに川本先生にお願いした。「2回目はぜひ久木野小だけでなく、奥尻小、尾母小にも参加してもらいたい」その後、それぞれの学校で平和学習が深められていき、12月12日を迎えたのでした。

 奥尻小学校では、旧ソ連との戦闘や戦後の捕虜収容所の体験などを学んでいた。北日本の兵隊は主にソ連へ、南日本の兵隊は主に南方へ出征していったということを聞き、そういうことなのかと気づかされました。
 尾母小では、知覧特攻平和会館での学びを発表してくれた。「特攻隊員の若者達の笑顔が印象的だった」と語る尾母小児童。”なぜ笑っていられるのか” 死を前にして、人が笑えるはずがないという通念では測れない、複雑で残酷な時代背景がありながら、それでも、そこにはかれらの青春があったはずで、特攻隊員の皆さんの笑顔の意味について自分なりの納得できる解釈ができるまで、平和学習を重ねていくことが大事なのだと思います。
 広島市の基町小は、爆心地直近に戦後建てられた校舎だそうで、原爆のこと、戦争のことを、日本中のどこの小学校よりも学び続けている日常があり、きっと大人になっても原爆のない世界、戦争のない世界の実現に向けて、声を上げ続けていく人たちなのだろうなと思わずにはいられませんでした。
 久木野小学校では長崎の平和学習を中心に発表しました。なかでも、70年以上前、旧長陽小の先輩たちが永井博士に会い行き、博士から託された平和のコスモスの種を毎年6年生が受け継ぎ続けてきたこと、今しかもう聴くことができない地域の戦争体験者から「久木野の戦争の記憶」を聴く連続講演会のことなど。
 北九州と熊本で教育現場を経験してきた私にとっては、修学旅行といえば長崎の平和学習、それが当たり前と思っていましたが、地域によってこんなにも学ぶことに違いがあるんだなぁ、その土地その土地で戦争の記憶もそれぞれなんだと思いが深まりました。

 各校代表児童の感想では久木野小のRさんの感想が圧巻でした。龍王小の木村さんからは「今回の平和サミットで、みんなが心に抱いている”平和のバトン”を未来につないでいきましょう」という呼びかけで締めくくり、この日のつながりを忘れることなく、それぞれがそれぞれの場所で学びの歩みを止めることなく、平和への道を切り開き続けていけば、きっと未来は明るいと確信しました。
最後にこのサミットの呼びかけ人として一言お話させていただきました。 
広島大学HPの記事はこちらより
https://sip-dcc.hiroshima-u.ac.jp/class_practice/20251212peace/             

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